個人タクシー開業前夜
第11話~第20話 合格そしてキックオフ
わたしは自営業の家庭に育ち、サラリーマンは性に合わないのです。
独りで居るのが好きな人なので、タクシーには良いですがね。
会社に入るなり「私は個人タクシーを目指しています、生来の自営業者ですから」なんて公言して憚らなかった厄介者。
会社に恵まれ、人に恵まれ、大栄で10年勤め上げました。
ついに個人タクシー試験の門を叩く、その時を迎えていました。
第11話 いよいよ試験モード突入
平成24年10月9日
11月本試験の実施通知ハガキが到着しました。受験票ですね。
コレを見ると、いよいよ試験モード突入だな、と気合いが入ります。
組合模擬試験は、多くの譲受希望者の中から優秀者を選抜する試験であり、がむしゃらな点の取り合いでした。
満点でなければ通過できないであろう関門。
対して、本番の関東運輸局試験は、合格点を取ればOKな試験です。
プレッシャーの度合いが雲泥の差なのです。
しかし、「これは楽勝!」と、気を抜くといけませんから、落ちない程度に補強しておきます。
まあ、実に試験までが長かった。
記憶のメンテナンスは新たに覚えるよりも辛かったです。
放置すれば自然に記憶は薄れます。
忘れてしまわないように、もれなく、もれなく、しんどいなぁ~。
第12話 関東運輸局個人タクシー試験
平成24年11月23日
夏の終わりに譲渡が決まって、秋口に申請書を提出して、本試験は勤労感謝の日です。
受験会場は東京中野の明治大学。当日は小雨が降っていました。
それも試験の始まる午後には収まる気配でしたが、とても寒かったです。
寒さ半分、武者震い半分、といったところでしょう。
まあ、なるようになるさ、と、落ちることなど全く考えておりません。当然です。
いざ! 出陣!!
試験中、一時間ほど経った頃でしょうか、寒さがつのってトイレが近くなってきました。
「は~い!」と手を挙げれば、試験官の監視付きでトイレへ行けます。
ですが、、、もう問題は全て解き終わっていました。
たぶん全問正解です。
法令1問だけ自信が無くて間違えているかも、という状況でした。
見直しも二回やってます。
もう、、良かろう! それよりトイレだわ。
スッと立って、荷物をまとめて試験官に解答用紙を差し出しました。
あとは4階の試験会場から1階のトイレまで快速進行です。。。
合格間違いなし。自信は万全でした。
帰路の電車内では車窓を流れる景色のように、問題と解答用紙が走馬燈のように記憶に蘇ります。
合ってる、合ってる、合ってる、、、間違いない。
最後の地理の宝探し、川崎市麻生区と横浜市栄区の楽勝問題で、「なんでこんなに簡単なんだろう?」と思うくらいの問題です。
すると、
「あれれ?」
頭の中で、問題用紙に書いた正答を解答用紙に転記する段階で、、、走馬燈が止まりました。
「あれれ~?? もしかして、転記ミスったかな~???」
一度不安になると、もういけません。
最悪のシナリオが脳味噌の中を駆け回り始めます。
不安は不安を呼び、帰宅後も夜も寝付けません。
これでは本当に仕事に支障をきたします。
やばいです。
「大丈夫だから、落ち着け。完璧にやったはずだから。」
なるようになる、と気分が落ち着いてきたのは一週間後でした。
第13話 本試験合格!
平成24年12月8日
不安は不安を呼び、寝付けない日々が一週間。
会社に出勤すると、試験はどうだったか? 受かったのか? と必ず聞かれます。
強がるにも限界があり、心が折れそうです。
「まだ試験結果は公式発表されていませんから」
と答えますが、もう自信は完全に消し飛んでしまってます。でも、落ちたとしても笑って
「落ちちゃった! また来年ねっ!」
と胸張って言おうと心に決めました。仕方ないですもの。
試験から二週間が過ぎました。
土曜日の午後でした。妻がいつものように、私の書斎の机の上に郵便物を置きました。
その中に一通の茶封筒が。国土交通省関東運輸局と印刷されています。
来たよ。。。 祈りながら、、、早速開封。
【通知書】貴殿の一般乗用旅客自動車・・・・譲渡譲受認可申請につきまして、審査に入りますので云々。
試験合格です。
通知書の何処にも合格とは書いてありません。
しかし、「申請につき審査に入る」、と言ってますので合格なんです。
「ふふ、、お役所らしいなあ」
と、意外に冷静な感想が頭を横切ります。
肩の荷が、スッと降りました。妻は、合格したの?当たり前でしょ?という具合で、やや間を置いて「おめでとうございます」と言ってくれました。
第14話 大栄交通の乗務から降りる
平成24年12月15日
さて、試験合格後は直ちに、譲渡譲受認可申請書に添付するべき残りの挙証資料を揃えなければなりません。
車庫の賃貸借契約書、車庫へ車両を入れての写真撮影、車庫前道路の幅員証明書などなど。
年内のうちに全て揃えて関東運輸局へ提出しますと審査が始まります。
そして、審査の後、認可が出るのは翌年2月の上旬と言われています。
審査期間中に何らかのトラブルが発生すると大変なことになります。
たとえば、車に乗っていて人身事故を起こしてしまったとか、交通違反で捕まってしまったとか、因縁付けられて相手を殴ってしまったとか。
そうです、刑事事件の犯人は個人タクシーになれません。
開業準備資金も銀行に預けていますが、お金に困って引き出そうものなら即アウト。
申請却下という事態になります。
なによりも、譲渡譲受契約を結んで、てっきり個人タクシーを辞められると思っていた譲渡人の事業者さんに
多大のご迷惑をお掛けすることになります。
そういう事例は過去にたくさんあったそうです。
つまり、もうタクシーにも自家用車にも乗れない!
という事です、ハイ。
合格した皆さんは、そうしているはずです。
10年間通った大栄交通には、もう行かなくて良いのです。
通勤電車よ、サヨウナラ。
正式に辞めるまで、毎日が公休日ですぜ。
ただし、収入が無いんですから極度の貧困生活に陥ります。
これも、開業後のバラ色であろう(本当かな~?)人生を夢見て、歯を食いしばります。
子供達が妻の耳元でコソッと小声で聞きます。
「なんでお父さんは仕事に行かないの? 毎日お家にいるの?」
子供ながらに心配しているご様子。
教育の一環です、思いっきり心配させてやりましょう。(笑)
お父さんは毎日パソコンの前に座って、一日中何やら勉強しているのです。
実は非常に忙しい。
タクシーなんか乗ってられません。
退職する大栄交通さんに『御恩返し』の勉強中なのです。
これは、次世代の観光タクシー乗務員さんを育てるプロジェクトの講師を大栄さんから頼まれているのです。
個人タクシーに受かったからって、知らん顔して大栄を辞められませんよ、当然です。
「横浜観光ライセンス」1級第1号の役割として、と言うのもそうですが、
生活に困るだろうからと給料付き講師として雇ってくれる大栄交通には、本当に頭が下がります。
人にモノを教えるには、自分はその何倍も知識を貯め込まなくては出来ません。
教えるのは氷山の一角であって、水面下の巨大な氷山の本体を想像して下さい。
ベースになる知識を、これは横浜ライセンス試験の時に一度は貯めた知識ですが、
ここで再度整理し直す作業です。
毎日勉強漬けです。
嬉しい、嬉しい悲鳴です。
第15話 挙証資料を国交省へ出す
平成24年12月19日
年末はドタバタ忙しいのが普通ですが、今年は少し違います。
じっと勉強の日々。
挙証資料は提出して、準備万端、審査結果を待つだけです。
12月はタクシー的には忙しいのですが、こんな静かな年末は久しぶり。
来年は忙しい、良い年になりますように。
第16話 個タク一年目の元旦
平成25年1月1日
平成25年、巳年の元日を迎えました。
今年もよろしくお願い申し上げます。
平成24年は個人タクシーの譲渡譲受に目処が付いて、とても良い一年でした。
すんなり試験に合格して、大栄交通の乗務ダイヤから降りて暮れの16日から自宅待機でしたので、
この年越しはゆっくり紅白歌合戦を見ることが出来ました。
このまま終われば、最高の年越しになるはずでした。。。。
ゴロゴロゴロ~~~~~~??
お腹が鳴ります。
晩は年越しソバくらいしか食べてなかったので、お腹が空いてきたんだろうと思いました。
ところが、様子がおかしいのです。
胃がキリキリ痛いのです。
吐き気はしませんが、何か胃の付近に詰まった感じがします。
そのうち、、、、
猛烈な便意が襲ってきました。(失礼)
おや~?? と思いながらも、トイレへ駆け込みます。
それからです、、、30分毎にトイレ行きの特急電車が走ります。
まさに大晦日、特急電車は終夜運転となりました。(爆笑)
明けて元日。お屠蘇?お雑煮? とんでもありません。
一日中寝ています。
正真正銘の『寝正月』となりました。
素人判断ですが、流行のノロウイルスでしょうか。
はっ!と思い出したのが、我が家伝来の「梅肉エキス」です。
子供の時から、お腹を壊すと必ずお世話になっていた、青梅の果汁を煮詰めて作ったクエン酸の塊です。
コレは殺菌力が半端ないって! しかし、酸っぱくて大嫌い。それをスプーン2杯、我慢して飲みました。
あ~ら、不思議。
食欲が出てきて、胃袋の違和感が消え去りました。
ですが、特急電車の運転間隔は90分程度に延長したものの、運転継続中。
ここは食べて体力回復だ!! とばかりにガンガン手当たり次第に食べ物を漁りました。
仕上げに、ヤクルト400を3本飲み干し、新ビオフェルミンSを5錠放り込む荒行にもチャレンジしました。さあ、どうなるか。
あれれ~~~???
運転間隔が2時間くらいに延長してきましたが、急行電車くらいの勢いでしょうか。
止まりませんねえ。ところがです、ニオイに(再度失礼)変化が現れてきました。
ドブのような激臭(本当にゴメンナサイ)から何だか判らないが許せるニオイに変化し始めました。
首都高横羽線でキリンビール工場の脇を通過する時の、“あのニオイ”です!
乳酸菌の大量投入が奏功したのでしょうか?
徐々に普通電車になり、三が日が終わった時には完全に収束いたしました。
めでたし、めでたし。
かくして、認可審査中個タク一年目の正月は終わりました。
元気になったので、明日は娘とディズニーシーへ行きます!!
第17話 ダイエットしております!
平成25年2月1日
正月三が日の予期せぬ寝正月も終わって、ほっと一息ついたと思って下さい。
・・ふと、階段を登る足取りが重いことに気づいたのです。
息が上がります。というか、階段が非常~~~につらいんです。
まあ、最近、タクシー乗務に行かなくなってから運動不足は明らかでしたからね。
二階から階段を下りる時です。
グキッ!
やば! いやもう遅い、焦るな。。。。 自分に言い聞かせます。
「ひざ、痛めたかな~。」
静かに階段に腰掛けて、右膝をゆっくり動かしてみます。
大丈夫です。キュン!と痛みが走ったのですが、一瞬でしたから大丈夫のようです。
膝にダメージが来るということは、重量オーバーですな、明らかに。
すぐに体重チェックです。
ノロウイルスが退散したあと、気分良くガンガン喰っていた報いが来たであろうことは、想像に難くありませんでした。
なんと言っても、自分がよ~く知っていますから。
92kg。。。。。
これは、さすがの私でも生まれて初めて見た数字です。
腰抜かさんばかりに驚きましたわ。
すぐさま女房に宣言しました。
「只今からダイエットに入ります、ご協力お願いしますっ!!!」
女房は、またか、という冷ややかな目線を、チラッとこちらに向けます。
さあ、男の子!! 決めたからには、もう食べません。
食事は朝晩の2食のみ。
腹が減るったらありません。
そりゃぁそうです、一日2,000kcal位無いと維持できないであろう身体。
ご飯は子供用の茶碗に一口分だけ盛って、炭水化物を抑えます。
野菜は多めに摂取することと、食間に空腹を耐えられなくなったら野菜100%ジュースを飲んでしのぎます。
基本的に、総摂取量を減らすことと、懲罰的我慢を自分に課して、とにかく結果の数字を出すことから始めました。
一日1kg減量
最初の七日で7kg減らしました。
つまり、85kgです。
ここで一旦踊場になりました。
しかし、ここまで頑張った結果が出ているので、気分は最高に良いです。
気分が良ければ、続けるまでです。
少し減量ペースを落として、どこをとりあえずの着地目標ポイントにするか、
体重維持の段階が訪れた時のために、最適食事量と内容はどういったモノか、探ることも始めました。
旅客機のビジュアルアプローチのような管理をしながら、正確に着地点に機体を持っていく、そんな感じです。
こうなると減量は楽しいです。駅の階段も楽々登りますし、息が乱れないことに我ながら驚きます。
思い返せば、若い頃、駅にはエスカレーターなんて無かったんですから、その頃の普通の感じで階段を登っている・・今の自分。
身体が本当に軽いって実感から、心は満たされます。
食事を作りながらも(我が家は、奥さんが作りません)とてもハッピ~~です。
カロリーが高めのメニューも、もちろん作ります。
でも、高カロリーなら自分の食べる量を減らすまでですから、話は簡単です。
そして、そんなことが自然に出来るようになっています。
只今83kg、そして目標は・・79kgを一度見ること。
第18話 祝、個タク開業!!
平成25年3月6日
待ちに待った開業の日がやってきました。
個タク開業を目指してアクションを起こしてから丸一年、早いものです。
2月21日に車両の引き渡しがあり、すぐに車検証の名義書き換えを行いました。
名義変更、ナンバー交換、車体表記の変更、メーター屋さんに行って領収書プリンタの表示変更。
一週間ほどの間に、あれこれと細かい仕事が続きます。
大栄交通に車両を持ち込み、三ヶ月法定点検(電車で言うところの月検査ってヤツですな)を受けまして、走行支障なし。
諸々整ったところで神奈川タクシーセンターへ行って事業者乗務証を取ります。
あとは、陸運支局へ開業届を出して準備万端です。
ここまで辿り着いたのが3月2日でして、目出度く翌週明け3月4日、大安吉日をもって開業できる準備だけは出来たのでした。
しかし、やる気が起きない!!
どうしたことでしょう、身体は休めと言っております。
それに暦が余り良くない。
二十八宿カレンダーに拠りますと「危」でありまして、4日は大安の割にそんなに良いお日柄でも無さそう。
しかも、私の定休日は火曜日でして、月曜に出勤したらすぐに休みというリズムの悪さ。
それならもうちょっと休んで水曜日の6日先勝は? と調べてみると二十八宿は「壁」新規開業に吉であります!!
平成25年3月6日、開業
そんなこんなで、中原タクシーは走り始めました。
しかし、営業初日、ここで何とも悩ましい問題に突き当たりました。
私は川崎在住。なので川崎ナンバーです。
まあ、こうなることは最初から解っていたんですけどね。
私は生まれも育ちも横浜、しかも関内で10年間勤めてきた身です。
事情あって川崎へ移住してからまだ5年、横浜市内はよく理解していても、川崎市内の道は熟知しておりません<キッパリ!>。
そんな私が、川崎ナンバーを引っさげて、関内へ向かって走行し始めると・・・
手が上がりました。 新川橋で。
「運転手さん、海員会館!」
慌てました。
これ、私の地理勉リストには出て来なかった施設じゃありませんか!
呆然、知りませんわ本当に。(川崎区大島2丁目なんです)
「え!?それ何処です?何町ですかぁ?」
てな事になってしまいました。
ナンバーは川崎、ボデーにも(川崎)と書いてありまして、非常にまずいのです。
個タクですから地理は完璧、そう信頼して下さっているお客様を裏切る結果となりますね。
大栄交通時代は、横浜の車両って事で逃げられたものを・・・
まあ、勉強しろって事です。
これから、どうなることやら。。。。
第19話 ゼロクラウンは夜の顔
平成25年4月7日
開業一ヶ月が経ちました。
日々の目標売上というモノがございます。
これは一ヶ月に掛かるであろう固定的経費に生活費、整備費用の積立等とを勘案して、
法人時代の走行キロ単価から逆算して、目標走行何キロ、目標売上○○円と決まるモノと理解しております。
まあ、これくらいはやらないと、食べていけませんよ~というラインですね。
もう、既にサイは投げられております。ところが・・・
目標売上に、全然届かない。
(業界用語で「出来ない」と言います。)
法人時代と営業スタイルは大きく変わっていません。
朝の通勤時間帯から宵の口まで、関内を流す流す、ひたすら流す。
昼飯も食わずに、一日200キロ走行が目標です。
ところが、走っても走っても売上が付いてきません。
恥ずかしながら・・・キロ100円切っております。
どうした??なかはらタクシー。。。
これはマズイ。
昼勤では喰えない、という事実を突きつけられました。
何とかなるであろう、という超楽観主義者の私でも流石に参りました。
降参です。
観光営業がない日勤は悲惨。
「夜勤やってみるか。。。」
悪魔がささやきます。
身体のためにも日勤で働きたい、夜働くのは寿命を縮める、とは言っても、ねえ。
そう言えば、車両は何を使っているのか、お話ししていませんでした。
先輩から譲受したのは、平成16年式クラウンロイヤルサルーン、所謂ゼロクラです。
ぴかぴかに輝く濃紺のボデーは、8年使われた車両とは思えないくらいの美しい外観。
乗り心地はさすがに高級車ですね、お客様にも大好評。実に佳く出来たクルマです。
個人タクシーにとって、営業車両に何を使うかは大事な要素です。
こいつが夜になると暴れるんです。
ご存じの通り、夜の関内はタクシーで溢れます。
ところが、前を走る新200系クラウンの先輩をスルーして、バンバン手が挙がるんです8年落ちの我がゼロクラ君に。
ゼロクラウンは人気車なんですね!
行き先も大井松田、熱海、茂原、三郷、春日部などなど。
近くてごめんねー海老名
と言われた時は目眩がしました。これが個人の世界か。おかげさまで、キロ単価は大幅な改善をみました。
しかし、一ヶ月経ってみて・・・これらは単なるビギナーズラックだったことが判明~。
ゼロクラ君は、本当に夜の顔??
・・はぁ~、どうなることやら。
第20話 個人初めての横浜観光♪
平成25年5月14日
開業二ヶ月が経ちました。
大栄交通時代は観光タクシーの第一人者として観光営業の最前線に立っていた(笑)私です。
ところが、個人になって全く観光のお仕事がありません。
そりゃ~無線が未装着ですから無理もありません。
先輩に聞けば、それなりにお仕事はあるようです。
富士、箱根、伊豆、御殿場・・・
本当に今どき、こんな仕事があるのかい?ってな感じでしょう。
別に遠くへ行きたいんじゃないですけれど、観光はやっぱりやりたいですね。
二時間でも三時間でも、お客様が喜んで下さればそれが良いのでね。
踊り踊ってなんぼ。
ガイドですから。
それで、このような横浜観光に特化したホームページを作ったりして頑張っているのですよ。
しかし、こんなショボイ当HPでも、見ている人は見ています。(そんな言ったら見ている人に失礼ですね)
注文の電話が入りました!!
(おおお~~神様仏様)
ある日突然、やってきました、ご注文が!
嬉しいですね~。
個人初の観光です。
中華街善隣門から横浜駅東口まで一時間のご注文でした。
しばらく業務から遠ざかっていたので、若干の不安、たとえば年号や人名のド忘れとか、心配な部分は正直ありました。
しかし、フタを開ければ、やっぱり踊り踊ってなんぼ。
しゃべり始めると調子が出てきます。
始めて30分も経たない頃でした。
「あの~二時間に延長しても良いですかぁ~?」
「お話が面白過ぎますぅ~~」
非常にありがたいことに、お客様から時間延長のリクエストでした。
私は与えられた時間とお題の中で、一生懸命踊りを踊ることが仕事でございます。
喜んでいただければ、時間の長短なんか関係ありません。
お客様大喜びの中、無事に二時間、指定時刻2分遅れの横浜駅東口、ほぼ定時到着です。
このように時間でキッチリ運行することも、なかなか難しいプロの技なんですよ~。(自慢モード炸裂)
ビックリするほどチップを頂戴し、初観光は終了しました。(拍手~パチパチパチ~~)
この四日後にも当HPから観光のご注文を頂きまして、半日横浜観光を行いました。
横浜観光は、ぜひ中原タクシーへご用命下さい。
ところで、ロンドンタクシー君は、もう出来上がったのかな~。いつ来るのかな~~。